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HEART(ハート)のウィルソン姉妹・ジョーンジェットの軌跡!道を創った女性ロッカー

二十世紀終盤頃まで世界中で残っていた、男性中心社会の価値観。

1960年代にはウーマンリブやフェミニズム運動はあったものの、まだまだ女性の社会進出は困難な時代でした。

あの有名なカーペンターズカレン・カーペンターでさえ、亡くなるまで母親の男性中心の考え方に悩まされたといいます。死ぬ直前まで大変な人生だったのですね。

ジョーン・ジェットはギターレッスンを受けに行くと、男の子から『ロックは女の出る幕じゃないぜ』と言われたことがあるのだとか。男尊女卑の思想がかなり強い時代だったのでしょうね。

しかし70年代になると多くの女性ミュージシャンが登場し、女性台頭の起爆要因に!!

今回はロックの殿堂入りを果たしHeart(ハート)のウィルソン姉妹、そしてジョーン・ジェットに焦点をあて、彼女らの足跡を辿りたいと思います。

HEART(ハート)

ハート(HEART)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。

ウィルソン姉妹(アンとナンシー)を中心として活動する、先駆的グループの一つです。ハートは全世界で3,500万件以上のアルバムを販売。

アメリカ合衆国でのアルバム販売は2,250万件を越え、1970年代、1980年代、1990年代、2010年代のビルボード200でトップ10アルバムを記録しています。

成り立ち

現在のハートは、ウイルソン姉妹中心のバンドです。

しかし元々は1966年に、ギタリストのロジャー・フィッシャーとベーシストのスティーヴ・フォッセンらが結成した「アーミー」からはじまっているのです。

1968年にメンバー変更をして、グループ名を「ホワイト・ハート」とし、1971年にフィッシャーとフォッセンがオーディションでアン・ウィルソンを見出します。

アンは当初数週間のつもりでゲスト参加したのですが、ツアーが成功したためそのまま加入。

バンド名を「ホーカス・ポーカス」に改名。そこでアンはマイク(ロジャーの兄)と出会い、やがて恋に堕ちます。

HEART(ハート)誕生!

1972年にバンド名を「ハート」に改名。マイクはマネージャーとりなり、1973年から正式に活動開始します。

ナンシー(アンの妹)も時々ライヴに参加していました。当時小説家を志していたナンシーでしたが、1975年に正式に加入しました。

1976年にデビューアルバム『Dreamboat Annie』を発表。

レッド・ツェッペリンに強く影響された音楽性やアンの歌声、また姉妹バンドということが、世間の注目を集めました。

「Magic Man」「Crazy on You」(全米35位)などのヒット曲を生み出した彼女らですが、私生活でアンはマイク、ナンシーはロジャーと恋愛関係にあったとのこと。

1977年にはギタリスト/キーボーディストのハワード・リースとドラマーのマイケル・デロージャーが加入。

2ndアルバム『Little Queen』を発表し、シングル「Barracuda」は全米11位を記録しました。

1979年、ハートは当時の日本では珍しかった国際的なJAM“JapanJam”にメインキャストとして参加します。

 

私事ですが、私もオーディエンスとして参加しました。あのサザンオールスターズが前座で参加していたのですが、今となってはすごいことですよね!!

成長期

この頃、アンとマイク、ナンシーとロジャーが破局。その影響なのか、ロジャーが脱退し、ウィルソン姉妹中心のバンドとなります。

1982年にはフォッセンとデロージャーが脱退し、ベースにマーク・アンデス、ドラムにはデニー・カーマッシが加入。

音楽的な創成はロジャーが担当していた部分も大きく、商業的に低迷してしまいます。

1985年、当時キッス等を手がけヒット作を連発していたロン・ネヴィソンをプロデューサーに迎え、アルバム『Heart』を制作。

外部のソングライターによるポップでキャッチーな曲を収録したのは初めての事だったのですが、なんとこれが起死回生のきっかけとなったのです!!

そしてついに、シングル「These Dreams」で全米No.1を獲得!

黄金期

アルバム『Heart』も全米No.1となり、黄金期を迎えました。

「What About Love?」(全米10位)、「Never」(全米4位)「Nothin’ At All」(全米10位)とシングルヒットを連発。

アルバムでは、1987年発表の『Bad Animals』(全米2位)をはじめ、1990年『Brigade』(全米3位)と、飛ぶ鳥を落とす勢い!!

1987年には「Alone」で再びシングル全米No.1を獲得しました。

※アンがメインヴォーカルでした。「These Dreams」ではナンシーがメインヴォーカルでした、ね!(やはり、DNAでしょうか!)

熟成期

黄金期が去り、ウィルソン姉妹はハート以外のプロジェクト活動やソロ活動を重視し、サウンドも原点回帰のアコースティック路線を模索するように。。。

姉妹はバンド活動休止時のインタビューで「ロン(当時のプロデューサー)のプロデュースは徹底的に売れる音作りを狙っていたので、納得できない点もあった。」と答えています。

 

ナンシーはソロ活動・自身のバント活動の他にも、キャメロン・クロウ(当時の夫)が監督を務める『バニラ・スカイ』をはじめ多くのサントラ曲を提供しています。

 

90年代以降、姉妹は長期ツアーを避け、単発的なライブ活動を中心に行うほか、乳癌エイズ貧困問題など支援活動も行っています。

2013年には、ハートはロックの殿堂』入り(デビュー25年以上のミュージシャンの功労者が対象)を果たします。

メンバーの変遷や低迷期を突破し、数々のヒット曲を生み出した実績がついに認められたのです!!

ディスコグラフィ(シングル)

  • 『Crazy On You』(全米35位)
  • 『Magic Man』(全米35位)
  • 『Barracuda』(全米9位)
  • 『Straight On』(全米15位)
  • 『What About Love』(全米10位)
  • 『Never』(全米4位)
  • 『These Dreams』全米No.1
  • 『Nothing At All』(全米10位)
  • 『All I Wanna Do Is Make Love To You 』(全米2位)
  • 『Stranded』(全米13位)

ジョーン・ジェット

ジョーン ジェット(1958年9月22日生)はアメリカ合衆国出身のシンガーソングライター・ギタリスト・女優です。

ザ・ランナウェイズ(The Runaways)と「ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ」としての活動で知られています。

激しいビートで強く激しい楽曲が多く、喪失感・不誠実への批判や闘いと不屈の意志、真実の探求を描く歌詞が多いのが特徴です。

ジョーンが後に「私にはプランBはなかった(選択肢がなかった)」と語る様に、自己表現の手段としてはロックしかない時代だったのかもしれません。

ザ・ランナウェイズ

音楽プロデューサーのキム・フォーリーは、当時若いミュージシャンを発掘しようとしており、ジョーンは当時ギタリストとして目をつけられていました。

同じく彼が注目していた、ドラマーのサンディ・ウェスト。

フォーリーが二人を引き合わせると、明らかな相乗効果がありました。

この時がザ・ランナウェイズのはじまりだったのですね!!

フォーリーはバンドを充実させるために他の女性ミュージシャンを探し、リード・ヴォーカル兼ベーシストのミッキ・スティール(後にマイケル・スティールの名でバングルスに加入)をスカウト。

トリオ編成のパワー・ロックバンドとしてLAを拠点に活動を開始し、まもなくリード・ギタリストのリタ・フォードが加入。スティールは脱退しました。

その後、ナイトクラブで歌っていたボーカリストのシェリー・カーリーをスカウトし、ジャッキー・フォックスがベースとして加入。

デビューメンバーが揃い、史上初のガールズ・バンド「ザ・ランナウェイズ」が誕生した瞬間です。

最初はシェリーがバンドの看板ヴォーカリストとなり、ジェットも何曲かリード・ヴォーカルを務めました。

リズムギターを担当し、多くの曲を単独・共作(リタ、サンディ、シュリー)。デビューから成功を収めることとなります。

ザ・ランナウェイズは、日本をはじめ多くの地域で人気を博しましたが、アメリカ本国では同様の成功を得ることはできませんでした。

シェリーとフォックスが脱退後もアルバム『Waitin’ for the Night』と『And Now… The Runaways』を発売しましたが、バンドは1979年の春に解散!

ケニー・ラグナとの出会い

ザ・ランナウェイズの解散後、ジョーン・ジェットは拠点をニューヨーク、更にロサンゼルスに移しました。

ランナウェイズとしての契約に基づき、映画『We’re All Crazee Now!』に出演しました。

この間にジョーンは、映画のサウンドトラックを手伝ったソングライターでプロデューサーのケニー・ラグナと友人になります。

これは運命的な出会いでした。

二人は生涯に渡り一緒に仕事をする事になるのです。

ソロ時代

ジョーンが自身の名を冠したソロデビュー盤は1980年5月17日、ヨーロッパでリリースしました。

アメリカ合衆国では23の主要レーベルから断られた為、自主レーベル「ブラックハート・レコーズ」を作り、リリースしたのですが…

なんとその資金は、ラグナが娘の大学進学用に貯めていたお金だったというのです!!

ラグナのジョーンにかける想いが伝わってきますね。

ラグナは当時のことを「我々は自身でレコードを作る他に何も考えが浮かばなかったので、ブラックハート・レコーズが誕生した。それはジョーンの発案だった」と回想しています。

ジョーンは自身のレーベルを始めた初の女性ミュージシャンになったのです。

 ザ・ブラックハーツ

ジョーンは、「3人のイカした男を探している」という広告を出してバンド、ザ・ブラックハーツを結成します。

最初に、ランナウェイズとジェットの長年の大ファンであったゲイリー・ライアンをベースとして加入させました。

ゲイリーの推薦で、ギタリストにはエリック・アンベル。最後に加入したのは、ドラマーのダニー・”フューリアス”・オブライエンでした。

このメンバーで初のヨーロッパツアーに向かい、オランダでは広範囲な演奏旅行を繰り広げ、ロンドンなどイングランドの要所でツアーを行なったのです。

ジョーン、ライアン、アンベルはアメリカに戻ると同時にニューヨークに移りましたが、オブライエンは他に興味を惹かれ脱退。

オーディションでリー・クリスタルが、新ドラマーとして加わり、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツはアメリカ全土をツアー。ニューヨークで多くのファンを獲得しました。

ジョーンとラグナは、すぐに個人の貯蓄をはたいてジョーン・ジェットのアルバムをプレスし、自主配布のシステムを作り上げていました。

時には、コンサート終了後にラグナの車のトランクからアルバムを売り捌くこともあったそうです。

そのころ、人気が沸騰しジョーンのアルバムの生産が追いつかない事態に!!

ラグナは、旧友でカサブランカ・レコーズ (Casablanca Records) の創設者であるニール・ボガート (Neil Bogart) の協力を仰ぎ、共同で新しいレーベルを興しました。

ジョーンは新しいレーベルのボードウォーク・レコーズと契約を結び、ファーストアルバム『ジョーン・ジェット』 は『バッド・レピュテーション』 として再発売しました。

その年末に、ザ・ブラックハーツは、アルバム『アイ・ラヴ・ロックン・ロール』(I Love Rock ‘n’ Roll) をレコーディング。

レコーディング中に、ギタリストがアンベルからリッキー・バードに替わりました。

クイーン・オブ・ロックンロール

ジョーンは、リッキーをギターに迎え、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツのヒット・アルバムを収録。

ニュー・シングルは、タイトル曲「アイ・ラヴ・ロックン・ロール」の再録をしました。

この曲は1982年前半に7週間ビルボードヒットチャートのトップを飾り、続くシングル「クリムズンとクローバー」全米7位を記録。

American Top 40もこれに続き、ポリス、クイーン、エアロスミス達と帯同したツアーは、ソールドアウトとなりました。

ジョーンは1969年、ルーマニアのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズに続き、あらゆるジャンルを含めて鉄のカーテンを越えて演じた2人目のアメリカ人となりました。

彼女は、パナマとドミニカ共和国でプレイした最初の英語圏ロッカーの1人でもあります。

ジョーンは、マイケル・J・フォックスの主演映画『愛と栄光への日々』への出演をする事となり、ブルース・スプリングスティーンは、ジョーンのために主題歌を書きました。

そして彼女の演技は高く評価されたのです。

この頃、ライアンクリスタルがザ・ブラックハーツを脱退し、トミー・プライスカシム・サルトンの強力なリズムセクションに変わりました。

同年後半、ジョーンはビーチ・ボーイズらが参加したアルバム 『グッド・ミュージック』 をリリースしました。

ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツは、ブロードウェイのラント・フォンタン劇場  でコンサートを開いた最初のロックバンドとなり、当時のチケット完売最短記録を破ったのです。

アルバム『アップ・ユア・アレイ』 はアメリカでプラチナムディスクを獲得しました。

ジョーンは、自身のデビュー前にいくつかのバンドをプロデュースし、ブラックハート・レーベルからスラッシュメタルバンド、メタル・チャーチ (Metal Church) やラッパー、ビッグ・ダディ・ケインなど、様々なアーティストのレコードをリリースしています。

マスコミはジョーンを「パンクのゴッドマザー」「元祖ライオット・ガール」と呼ぶようになっていました。

スポーツ界に積極的に関ってり、カバー曲「Love is All Around」は女性スポーツを象徴する歌となり、NCAAプロモートに用いられました。

この曲はラジオで流され続け、CDの助けを借りずにリクエストナンバーワンの曲となります。

映画・舞台・番組出演

スクリーンデビューは、1981年のライブコンサート・フィルム『Urgh! A Music War』

ニューヨーク市のロッククラブ「Ritz」においてブラックハーツと共に「バッド・レピュテーション」を演奏しています。

女優としてのスクリーンデビューは先述した『愛と栄光への日々』。また『迫撃者』『The Sweet Life』 などの独立系映画にも出演しています。

ロックの殿堂

2015年、ジョーン・ジェットは、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ名義で『ロックの殿堂』入り。

2006年には、ロングアイランド音楽殿堂入りを果たしました。

ランナウェイズ解散後のソロ活動を経て、ラグナと出会い、生涯ロッカーを貫いた結果が認められました。

ナイスガイ、ジョーン!

仲間を大事にするジョーンは、パーキス病と戦っている友人、マイケル・J・フォックスと慈善公演で競演しています。

ジョーンはその強面の言動とは違って、思い遣りがあって優しい人柄なんですね。

仲間や続く者たちへの支援も多く行っており、社会活動にも積極的で、困っている人たちや理不尽なことへの対応も盛んに行っています。

動物愛護家

レザー製品を多様するジョーンですが、“レザーはFake“とインタビューでも答えており、動物の権利のために活動しています。

長年にわたって動物擁護団体「PETA」を支援していることでも知られているんですよ。

ミア・サパタ事件

1990年代後半、ジョーンが一緒に仕事をしたバンド「ギッツ」のボーカル兼作詞家であったミア・サパタが1993年に強姦され、殺されてしまいました。

ジョーンは、共同作業の成果のアルバム『イーヴル・スティグ』とシングル「Bob」の売上げをサパタ殺害犯の捜査資金として寄付。

バンドとジョーンは、テレビ『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』視聴者に情報提供を訴えました。

2004年、サパタ殺害犯ジーザス・メズキュイアは逮捕・有罪判決を下され、事件は解決となります。

LGBT

LGBTを対象にしたケーブルテレビ局LOGOのタイム・ワーナー・ケーブルでの放送開始を記念したパーティーに参加するなど、社会的マイノリティ弱者の支援にも積極的に参加しています。

フィルモグラフィ

『愛と栄光への日々』
 (Light of Days)
 §ジョー・ラズニック:マイケル・J・フォックス
 §ジャネット・ラズニック:ジーナ・ローランズ
 §パティ・ラズニック:ジョーン・ジェット

『The Runaways』
 §ジョーン・ジェット: クリステン・スチュワート
 §シェリー・カーリー: ダコタ・ファニング
 §サンディ・ウェスト: ステラ・メイヴ
 §キム・フォーリー: マイケル・シャノン

『Bad Reputation』
 §ジョーン・ジェット
 §ケニー・ラグナ
 §デボラ・ハリー
 ※他、多くのインタビューと楽曲で構成

ディスコグラフィ(シングル)

  • 『Cherry Bomb』(The Runaways)
  • 『School Days(The Runaways )
  • 『Wasted』(The Runaways)
  • 『Bad Reputaion(ソロ)
  • 『I Love Rock ‘n Roll』(ソロ,全米No.1,英4位,加1位,瑞3位,独6位,墺4位)
  • 『Crimson and Clover(ソロ,全米7位,英4位,加1位,瑞3位,独6位,墺4位)
  • 『Do You Wanna Touch Me』(ソロ,全米20位,英-,加8位,瑞12位,独31位,墺19位)
  • 『Everyday People』(ソロ、全米37位
  • 『Fake Friends』(The Black Hearts,全米35位)
  • 『The French Song』(The Black Hearts,カナダ42位)
  • 『Light of Day』(The Black Hearts,全米33位)
  • 『I Hate Myself for Loving You』(The Black Hearts,全米8位)
  • 『Little Liar』(The Black Hearts,全米19位)
  • 『Light of Day』(The Black Hearts,全米33位)
  • 『Dirty Deeds Done Dirt Cheap』(The Black Hearts,全米36位,英69位)
  • 『I Love Rock ‘n Roll(再発売)』(The Black Hearts,全英75位,瑞13位)

HEART(ハート)のウィルソン姉妹・ジョーンジェットの軌跡!道を創った女性ロッカー・まとめ

ウイルソン姉妹ジョーン・ジェットの軌跡と功績を辿りました。それぞれの背景は違いますが、紆余曲折しながらも夢を実現してきた姿は、本当にかっこいいですよね。

女性の社会進出が困難な時代から、懸命に走り続けた軌跡は、近年の”Me、too! ”運動の様に多くの続くものたちの指針となっているはずです。

ウイルソン姉妹ジョーン・ジェットは共に還暦を越えていますが、現役のロッカーとして前線で活動しています。

彼女らは年齢を重ねてもロックに対する情熱を失わず、ロック魂で社会貢献活動も積極的に取り組んでいます。

これからも元気で私たちにパワーを与えてもらいたいですね!!